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現地調査の様子

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吉里吉里の震災復興記念碑

写真 吉里吉里の震災復興記念碑

 これは、岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里に設置されている震災復興記念碑である。 大槌町は、東日本大震災による大津波によって甚大な被害を受けた。 町庁舎にいた町長をはじめ多くの職員が行方不明となり、発災からしばらくの間、行政機能が麻痺することとなった。

 大槌町の町庁舎があった町方からは山をひとつ超えたところに位置するリアス海岸の湾のひとつが吉里吉里である。 明治29(1896)年の津波被害から立ち直るも、昭和8(1933)年の津波において甚大な被害を受け集団移転を行った。 その集落が、東日本大震災において再び津波に飲み込まれた。 この地は、山口弥一郎の『津浪と村』において「吉里吉里の理想郷」と紹介されており、集団移転が高く評価されていた。 にもかかわらずその場所も、東日本大震災の津波を免れることはできなかった。

 発災直後に大槌町の町役場と連絡が取れなくなった吉里吉里は、独自に災害対策本部を立ち上げ、住民自らが重機を操作して瓦礫を取り除き、行方不明となった住民の捜索を行った。 避難所の運営も地域住民が協力して行い、その様子はtwitterを通じて海外にまで到達し、世界中から支援者が集まった。 住民が用地の提供に協力的で、仮設住宅を地域内に開設することができ、被災した住民の離散を防ぐことができた。

 2018年4月、大槌町中央公民館吉里吉里分館の落成記念式典が行われた。 防災集団移転団地と、嵩上げをした土地を区画整理事業により整備した吉里吉里の中心地に住宅が再建され、仮設住宅で不便な生活を送っていた住民が次々と戻ってきた。 その中央に、吉里吉里分館は位置しており、吉里吉里分館の落成により吉里吉里の建造環境の復興は終了した。

 2020年2月、震災の記憶と教訓を伝える記念碑が完成し除幕式が行われた。 住宅が再建され、防潮堤が完成しても、生活の復興は終わらない。 持続可能な地域社会を築くため、吉里吉里で暮らす人々の日々の活動は今日も続けられている。
(『学術の動向』2023.3「表紙の画」より引用)

地域社会と危機管理研究所所長
早稲田大学人間科学学術院教授
浅川達人

現地調査の様子

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